戦国武将の名前でカッコいいのは?人気武将の読み方一覧を紹介!
戦国武将・・・カッコいいですよね。
大河ドラマや歴史ゲームをするとイケてる名前の
武将がたくさん出てきます。
自分のハンドルネームやメールアドレスを
考える際にも使えますね。
この記事では戦国武将の名前でカッコいい人を紹介してます。
個人的な好みでピックアップしている武将が多いので、有名な
知っている武将もいれば、初めて聞く名前の武将もいると思います。
合わせて読み方と、どんな人物だったのか?ということを簡単に解説していきます。
戦国武将の名前でカッコいいのは?読み方や意味一覧を紹介!
それでは早速行きましょう!名前のカッコよさで集めていますので、有名な戦国大名もいれば、聞いたことが無い戦国武将の名前もあると思います。
名前はあいうえお順に並んでいますよ。
安芸 国虎(あき くにとら)
安芸七守護の一人。長曾我部元親と争った。戦で籠城し、自分の命と引き換えに城内の兵士を救ってもらった。
朝倉 景紀(あさくら かげとし)
北陸地方で活躍した戦国武将。
朝比奈 泰朝(あさひな やすとも)
今川家に仕えた朝比奈泰朝。今川義元が死亡した後も最後まで今川家を支えました。
井伊 直虎(いい なおとら)
井伊家の女性当主。女性ながら直虎と名乗り、乱世を生き抜いてきた。井伊直弼の先祖でもある。
伊集院 忠朗(いじゅういん ただあき)
島津家の家臣。戦に初めて鉄砲の使用を取り入れた。それが評価され、島津家の家老になった。
一条 兼定(いちじょう かねさだ)
土佐のキリシタン大名。洗礼名はドン・パウロ。大名としては大きな活躍はなかったが、純粋なキリスト教信仰者だった。
一色 藤長(いっしき ふじなが)
将軍足利義輝に仕え、幕府御供衆になっている。将軍が織田信長に追放された後にも、なんとか将軍に復帰させようと努力した。
円城寺 信胤(えんじょうじ のぶたね)
龍造寺家の家臣。龍造寺四天王の一人で武勇に優れていた。
大友 宗麟(おおとも そうりん)
九州随一の勢力を誇ったキリシタン大名。朝鮮や明との貿易で多大な利益を上げていました。武将であると同時に経済にも詳しい知識人だった。
鬼庭 左月斎(おににわ さげつさい)
伊達家の重臣。最初は違う苗字だったが、地元の大蛇を切り殺し、鬼のように強いということから鬼庭に改名した。主君のために74歳の時に敵陣に突っ込んだ逸話がある。
甲斐 宗運(かい そううん)
生涯で60回以上の戦に出陣し、一度も負けたことがない。統率力、政治力、武勇に秀でていた。
京極 高次(きょうごく たかつぐ)
妹や身内の力で出世した大名で「蛍大名」というあだ名がある。戦国武将としての能力も秀でており、関ヶ原の戦いでは1万もの軍勢を食い止めた。
霧隠 才蔵(きりがくれ さいぞう)
小説に出てくる架空の人物。真田幸村に仕える「真田十勇士」の一人で猿飛佐助とともに大坂の陣で徳川家康と戦った。
高坂 弾正(こうさか だんじょう)=春日 虎綱(かすが とらつな)
武田信玄に仕えた武将。信玄の側近として、高い教育を受けていた。山本勘助に兵法や築城の仕方を習い、知将と言われていた。
西園寺 実充(さいおんじ さねみつ)
伊予を支配した戦国大名。文武に優れ、上洛したときに和歌会にも出席した。
斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
美濃国の戦国大名。父親ともめて戦をおこす。混乱していた自国の所領問題を解決し、戦国大名としての礎を築いた。若干35歳で逝去。
雫石 詮貞(しずくいし あきさだ)
戦国時代の武将。
島津 義久(しまづ よしひさ)
九州を席巻した戦国武将。政治家としての資質に恵まれ、関ヶ原の戦いで豊臣側につき負けたにもかかわらず本領を安堵された大名
武田 信玄(たけだ しんげん)
人気の高い戦国武将の一人。戦上手で戦術の心得である「風林火山」を旗印に使用していた。アイデアが豊富で、政治や日常生活においてもさまざまな発明をしていた。
立花 道雪(たちばな どうせつ)
若いころ、雷に打たれた時、雷の中にいた雷神を刀で切ったと言われています。それにより下半身不随になっていまいますが、それでも神輿に乗って戦場に出ていたという逸話が残っています。
伊達 政宗(だて まさむね)
東北地方の覇者。幼いころに病気で片目を失ったため「独眼竜(どくがんりゅう)」とも呼ばれている。
藤堂 高虎(とうどう たかとら)
身長が190㎝もある大男で猛将だったと言われている。仕える主人を7回も変えており、徳川家康から字は絶大な信頼を得ていた。
直江 兼続(なおえ かねつぐ)
上杉家に仕えた智将。現在の米沢の城下町の基盤を築いた。兜には「愛」の字がついていることで有名。
長尾 景虎(ながお かげとら)
長尾景虎は上杉謙信の若き日の名前で同一人物である。文武両道に秀でており、義を重んじた武将だった。
二階堂 輝行(にかいどう てるゆき)
戦国時代の大名で現在の福島県を支配していた。
服部 半蔵(はっとり はんぞう)
忍者と言えば必ずあげられるのが服部半蔵の名前です。伊賀出身の忍者で、徳川家康が伊賀越えをするときに大活躍をしました。
百武 賢兼(ひゃくたけ ともかね)
竜造寺家の武将で、武勇に優れており「竜造寺四天王」の一人として数えられた。
風魔 小太郎(ふうま こたろう)
北条家に仕える忍者。諜報やかく乱などで活躍した。風魔小太郎とは忍者の頭領の名前で、代々継がれていく。
北条 氏康(ほうじょう うじやす)
武田信玄、今川義元との間に同盟を結んで関東を支配した。後世につながる民生制度も充実させた。戦国時代最強の民生家と言われる。
前田 慶次(まえだ けいじ)
戦国時代一のかぶき者と言われる。派手な格好を好み、常識にとらわれない男。天下を取る野望は持っておらず、悠々自適に生きた。
壬生 綱雄(みぶ つなたけ)
戦国時代の武将。宇都宮家の家臣。
毛利 元就(もうり もとなり)
中国地方の覇者。戦略家で謀略家であり、戦国時代最高の智将とも呼ばれている。自軍よりも多い兵力の敵軍を打ち負かしたり、逆境を乗り越える戦で次々に勝利を重ねていった。
森 蘭丸(もり らんまる)
織田信長に仕えた武将。本能寺の変で信長が討ち死にするまでずっと側近として支えた。品行方正で信長の自慢だったようです。
龍造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)
「肥前の熊」という異名があるほど武勇にたけていた。だが、性格が残忍だったため、新兵の中にはついていけない者もいた。
最後に
カッコイイ名前の戦国大名を紹介させていただきました。気に入ったものはあったでしょうか?新たな武将が出てき次第、追加していきます。
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